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小さい頃は、世界はもっと分かりやすくて、正しいことと正しくないことははっきり分かれてるもんだと思ってた。

知り合いの家や、ばあちゃんの家の行くと、大抵は晩御飯なんかをごちそうになる。
子供と言ってもやっぱりお客さんってことで、色々な気遣いをしてもらったり、作る料理も少し豪華だったり。
こういう時って必ずと言っていいほど、「どう?」って感じで感想を聞かれる。
もちろんごちそうなのだから、おいしくないことはない。でも、世界一ってほどでもない。レストランとかの方がおいしいと思う。だから「普通」だとかそんな風に答える。
大事な人であればあればあるほど、たとえ相手のためのを思っての嘘でも、正直な気持ちを伝えるのが、ごちそうしてもらったことに対するせめてもの礼儀なんだと子供ながらに思ってた。
優しい人だったらきっとそれが間違ってることぐらい、子供ながらに気付いたに違いない。
それは嘘をついてしまったことに感じる罪悪感みたいなものから逃げるための方法に過ぎなかった。
相手がどう感じるかよりも、自分の気持ちを優先していた。
「正しい」ことをしているのだから、「正しい」結果なんだと思いこんでいた。


でもこういうことをよく知っていて、状況に応じて対応できるっていう技術を知るということが、大人になるということだったら、それはちょっと寂しい。
環境や状況に応じて変化するっていうのは、必要な能力だ。空気を読んだりとか。
逆に言えばそれは環境に影響されやすいってことなんだとも思う。



そういうことを依然よりかは分かるようになっていることは喜ぶべき成長なのかもしれない。
協調性のない僕にも、人を思いやったり、気持ちを考えるということが、ちょっぴり身についたってことなんだから。


でもなんだか寂しい気もする。