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小さい頃は、世界はもっと分かりやすくて、正しいことと正しくないことははっきり分かれてるもんだと思ってた。

知り合いの家や、ばあちゃんの家の行くと、大抵は晩御飯なんかをごちそうになる。
子供と言ってもやっぱりお客さんってことで、色々な気遣いをしてもらったり、作る料理も少し豪華だったり。
こういう時って必ずと言っていいほど、「どう?」って感じで感想を聞かれる。
もちろんごちそうなのだから、おいしくないことはない。でも、世界一ってほどでもない。レストランとかの方がおいしいと思う。だから「普通」だとかそんな風に答える。
大事な人であればあればあるほど、たとえ相手のためのを思っての嘘でも、正直な気持ちを伝えるのが、ごちそうしてもらったことに対するせめてもの礼儀なんだと子供ながらに思ってた。
優しい人だったらきっとそれが間違ってることぐらい、子供ながらに気付いたに違いない。
それは嘘をついてしまったことに感じる罪悪感みたいなものから逃げるための方法に過ぎなかった。
相手がどう感じるかよりも、自分の気持ちを優先していた。
「正しい」ことをしているのだから、「正しい」結果なんだと思いこんでいた。


でもこういうことをよく知っていて、状況に応じて対応できるっていう技術を知るということが、大人になるということだったら、それはちょっと寂しい。
環境や状況に応じて変化するっていうのは、必要な能力だ。空気を読んだりとか。
逆に言えばそれは環境に影響されやすいってことなんだとも思う。



そういうことを依然よりかは分かるようになっていることは喜ぶべき成長なのかもしれない。
協調性のない僕にも、人を思いやったり、気持ちを考えるということが、ちょっぴり身についたってことなんだから。


でもなんだか寂しい気もする。

One Flew Over the Cuckoo's Nest

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カッコーの巣の上で
そもそも日本と欧米は文化的背景が大きく異なるということを映画や音楽では切に感じ取れるように思う。もしくは僕個人の理解が少し浅いのかも。

芸術の素人である僕にとっては目新しい事実であるのだけれども、日本の映画と比べると(見落としているだけかもしれないけど)象徴やメタファーに溢れているように感じる。分かりやすいものもあれば、制作当時の背景や文脈を知らなければ、理解が難しいものもある。

正直大学生になるまで、こんなことに気づくことは全くなく、ストーリーとかをただそのまま受け取って特に何も考えず見てた。まーそれでいいのかもしれないけど、他の意味合いも持ってるっていうことを知れて、それはそれで考えさせられ、新たな楽しみとなったりもする。

あんまり賢い方じゃないからほとんどは気づけまてん

分からなすぎて解説サイト読んだりもする




芸術に関することには必ずのように間接的表現というか、象徴があって、むしろただ本筋よりも、それを通じて暗に表現している意図こそが主張や伝えたいことなんだ、というのが文学の授業を受けているとひしひしと感じる。

中高生の頃からこんな感じなのだろうから、多くのその文化圏内に住む人たちの中にスキーマというか、一つの見方や表現方法として当然のように根付いていることなのかもしれない。時々アカデミー賞をとった意味がすぐにはよく分からない映画あったりするけれど、よく見ると、その価値のある映画であるに違いない。


物語は現実を切り貼りしたものでなく、ある意図を以てして構成されている。ということもある。
必ずしもただ現実を表現してるんじゃなくて、ある人の人生をただ覗くっていうんじゃなくて、表現の一つ一つに作者の意図がこめられていたりする。特に小説においては顕著。ただ殺人事件が起きて解決、良かったね!解決した人かっこいいね!じゃなくて誰かの死に別の意味がこめられていたり、結末に何か意味が持たされていたりする。直接的には言及されていなかったとしても、そこには、死は突然やってきて逃れられないんだよ、じゃあ僕らはどうすべきなんだろう?こーゆー考え方はどうかな?みたいなことを、ストーリーを展開する中で表現していく。しかもキャラクターは魅力的で展開や表現も面白い。
なんてことを平気でやってのけるんだから作家はすごい。

芸術家ってすごいなー





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難しいこと考えなくてもこの映画のthemeは反体制主義(antiestablishmentarianizm)だとか、自由だとか
なんだと思います。人間の尊厳を今一度考えなおさせてくれるというか。


ストーリーはある精神病院の中で進められるんだけど、婦長のおばさんは超高圧的で、ルールでガチガチ。精神病院だからそりゃルールはあるんだろうけど、理不尽で絶対的なんだ。おばさん。よく見たらキレイなんだけどな。


そこにジャック・ニコルソンが演じるマクマーフィがやって来る。
ただ言われるがまま、何の疑いもなしに言われたことを受け入れ従ってた他の患者達は、彼の自由な行動に驚き、突き動かされ、影響されていくんだな。






すごい大雑把に言うとこんな感じ。
ただそこで座ってていいんだろうか。変化のための行動は起こさないが、不平不満は言う。いつでも出ていけるのに、彼らはそんな大嫌いなはずの場所に留まっている。
小さな分子の大きな体制に対する戦いや、分子たちへの疑問の投げかけ。






とにかくジャック・ニコルソンの演技がいいんだよね。こーゆー役やらせたらピカイチ。
すごい俳優だと思う。間とか、セリフのないところでの表情だとか、「アバウトシュミット」にも生かされてるけど、独特のものがあって、奥ゆかしい。でもなんかクレイジー[[]]

かせき

光陰矢の如しと言うけど変化の多くを人は目まぐるしく感じるんじゃないか。
小学生の頃にあった空き地はいつの間にか駐車場になっていた。
中学生の頃の片思いの相手はいつの間にか彼氏ができて同棲してる。
小渕元総理が死んでから何年経ったんだろう。
未だにテロとの戦いは続いている。

変わるということが良いことなのか悪いことなのかは分からないけれど、時々不安になることがある。

自分だけが取り残されたかのように感じる。シーラカンスに親近感を覚えた。


今来ているTシャツは高1の頃に買ったものだ

こずえ鈴 米人気ロッカーと同棲発覚

タレントのこずえ鈴(25)が米人気ロックバンド「グッド・シャーロット」のギター&ボーカリストベンジー・マデン(26)と交際、カリフォルニアで一緒に生活していることが2日分かった。

 ドイツ生まれのこずえは、プラズマの研究者である父とともに世界各国で生活。幼少期から13歳までを米国で、その後10年近くを日本で暮らした。関係者によると、2年前に「留学したい」との意向で渡米。その後、知人の紹介でベンジーと知り合い、交際へと発展した。


グッドシャーロットて!!
こずえ鈴もビッグになったのう。